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◆入船地蔵尊の歴史「新潟湊元 渡来三百年」


入船地蔵尊の来歴

入船地蔵尊の来歴
佐渡から渡来の「入舩地蔵尊 」

◆江戸時代中期_水戸番小屋傍らに佐渡から渡来の地蔵尊石像を安置

入船地蔵尊の来歴
    入舩地蔵尊渡来の日和山浜 (嘉永2年1849年_新潟真景図_水戸番小屋の傍ら)

●享保3年(江戸中期 1718年)、入舩地蔵尊像の渡来

◇亨保3年、佐渡羽黒山より渡来し給うと傳えられる地蔵

 尊は、御丈二尺八寸の石像にて羽黒山覺念と銘有り。

◇この地蔵尊は、同年9月 丹後国の屋船が佐渡夷湊に

 停泊の砌り,霊験新たな生菩薩の化身として同湊から

 新潟湊へ上陸せられる 。   

上陸後、楠屋船の船員は、問屋但馬屋(今代司)へ投宿し

 水戸教,湊元源四郎が、この地蔵尊を當湊日和山浜,源四

 郎小屋 (水戸番小屋) の傍に安置し,入舩地蔵尊として

 尊崇する。

) 新潟湊に出入りする廻船に、瀬のある場所や水深を教え

  船を安全に誘導するのが、「水戸教」である。水戸教の

  小屋は湊口近くにあり、水戸教船が入港の連絡を受ける

  と、廻船に向かい湊の停泊地まで誘導した。信濃川に入る

  ことの出来ない大きな廻船は、湊口の沖合に停泊し、船の

  荷物を町蔵へ運んだのは、小舟であった。 この廻船が、

  新潟湊へ入ると湊口にある「洲崎御番所」に船往来手形

  を届け出ることとされていた。


◆江戸時代後期_新潟湊祭「住吉舩藏」発祥の地に入舩地蔵尊像を転座

入船地蔵尊の来歴
       入舩地蔵尊の当初転座地 (嘉永2年1849年_新潟真景図_住吉舩蔵)

●寛政6年(江戸後期 1794年)、入舩地蔵尊像の転座

◇寛政6年、網干屋傳右エ門(住吉神社 開基) 並びに地蔵尊信者 

   の湊元源四郎 両人の発願及び地域住民の協力により海上安全

 祈願及び天明大飢饉による死者の有無両縁供養のため、住吉

 舩蔵(嘉永2年1849年新潟真景図→安政3年1856年火災焼失)

 地に一宇を建立し、日和山浜,水戸番小屋の傍らから入舩地蔵

 尊像を転座する。   

新潟湊祭の【住吉船藏】 明治39年元旦【東北日報】掲載記事

◎新潟湊祭は、(とう)()全市(ぜんし)六十ケ(ちょう)を、(ひる)(まつり)は一番より八番まで

夜祭よるまつりは九番より二十二番までに分割ぶんかつして、洲崎町すさきちょうこの祭事さいじはつ意者いしゃたりと、つは、その位置いちが、最も港口こうこう接近せっきんるとのゆえもつて、同町どうちょうを一番とし、その一番いちばんものをして、信號しんごうするうちしんぜんてゝ後蹤こうしょうせしむる事としたるなりゆえ祭典さいてん期日きじついたれば、洲崎町すさきちょうのもの、白山神社より住吉すみよしがみ奉迎ほうげい してしんに安置し、各町かくちょうかく其番そのばんひ、れつただして市中を巡回じゅんかいるものにして、御座ござふね」の藏置所ぞうちしょは、特中洲崎町なかすさきちょう  (本町通十四番町建設しありたり (洲崎町の者が糾合きゅうごうしてこしらえた御座ござふね)嘉永元年(1848)新潟町にいがたまち繪圖中えずちゅう中須崎町なかすさきちょうほくたんなる西方に  住吉船藏すみよしふなぐら ちゅうしあるものすなわ是也これなり

            ※上記祭の詳細については、「新潟湊祭の歴史」で紹介(別ページへリンク)

 


◆江戸時代幕末(安政六年) の「入舩地蔵尊」

入船地蔵尊の来歴
          安政6年 (江戸幕末 1859年)_新潟湊之真景_入舩地蔵尊

慶応元年(江戸幕末 1865年)

  【 関川貞信尼⇒入舩地蔵尊(寺院)を開基 】

◇慶応元年、関川貞信尼 (水原在県会議員, 関川市在門の母堂) が、諸国の通船順風・海上安全祈願及び死者施餓鬼供養のため、堂宇を改築し 霊供地(無縁塚) を手に入れて 入舩地蔵尊(寺院)の開基と為す。

◇以来、諸国を往来する船は、入舩地蔵尊に船の安全を祈願し、新潟湊には、常に三百隻~四百隻の和船が停泊し、その繁栄がわれるところである。

◇入舩地蔵尊が新潟湊の海上安全祈念場として、また、夢のお告げで、お地様の御分体や赤白の衣を寄進さる信者の方も多くいて、入舩地蔵尊が大変繁盛し、県内外からの参詣者が引きも切らなかったとのことである。

◇このお寺は、檀家のない寺院で、関川家の別家に過ぎないが、遠近来からの参詣者は多く、子供の健康・その他の諸願を念ずれば効験があると言われている地蔵尊である。

 


🔷明治二十九年の「入舩地蔵尊」

入船地蔵尊の来歴

明治29年 新潟市商業家明細全図「入舩地蔵尊」


🔷昭和二十年頃の「入舩地蔵尊」周辺地図

入船地蔵尊の歴史
「 異 色 の 町 _ 本 町 1 4 番 町 と そ の 近 辺 」 (結城昌幸氏調査 ) _ よ り

入船地蔵尊の来歴
              明治37年申辰 入舩地蔵尊

◆明治三十七年の「入舩地蔵尊」

◇明治13年・15年・31年の大火災類焼後、明治35年

   に再建された本堂

◇その後、明治44年には、地蔵尊渡来二百年記念事

   業として本堂を改築し、併せて堂内正面に賽の河

   原の彩色金箔欄間 (二間幅) を造立る。

   本堂内陣には入船地蔵尊本尊及び前立金箔地蔵尊

 (総丈一尺八寸) 四体並びに御分体の金箔地蔵(総丈

 七寸五分)約三百体が安置され、現在では、千体仏

 堂の御分体と併せて千五百体を超える寄進仏が

 安置されている。


◆入船地蔵尊の逸話

入舩地蔵尊 開基資料(古文書)より

●こちらの御本尊は、二尺八寸の石像で、佐渡羽黒山覚念という銘がある。

●亨保3年(1718年)、この石像が佐渡羽黒山から新潟湊へ渡来したという渡海伝説を持つ。

◇同年9月、丹後国(京都府)の楠屋船が、佐渡夷湊に停泊していたところ、羽黒山の僧が衆生結縁の

 ため、新潟に渡海しようとして、その船に乗せて貰おうとしたが、船夫に断られて、いずれとも

 なく立ち去って行った。

いよいよその船が船出して、新潟湊の入り口にさしかかると風が止み、その船が止まってしまい

 船内が大騒ぎになった。船夫が見ると、船の後ろ側の艫の方に石地蔵が挟まっていたので、船夫

 は、こいつとばかり海中に投げ捨てたところ、その船が一寸たりとも動かなくなった。

これは、尊像を大事にしなかった罰と気付いた船夫は、急いでこの石地蔵を引き揚げたところ、

 入り風が出てきて、無事に新潟湊へ入ることができた。

船夫は、不思議なことと思ったが、その話を聞いた湊元源四郎は、この石地蔵(尊像)を水戸教小

 屋の傍らに安置した。人々は、「入舩地蔵尊」として崇敬した。

安永2(1773)の間、五種の温病が流行し、死人が出たが、この地蔵尊を信仰する人は数多く

 助かった。

●天明元年(1781年)から4年間にわたり飢餓が発生し、その死者は中洲崎町の地(現入舩地蔵尊)へ

 移され、死者の人塚ができた。

●寛政6年(1794年)には、網干屋傅右衛門(住吉神社開基)及び地蔵尊信者の湊元源四郎 両人の発願

  により、海上安全祈願及び有縁無縁の死者供養のため、地蔵尊像を水戸教小屋の傍らから中洲崎

 町の太郎助浦の藤藪(住吉船蔵の地)に一宇を建立して転座した。

●文化元年(1804)、大地震が起こった。出羽や庄内の山が崩れ,人馬も数多く死んだ。

 この地震によって、尊像は三つに折れてしまった。水戸教の湊元源四郎と新潟湊鎮守の網干屋

 伝右衛門の両人が、折れた尊像を重ねると、自然と尊体が元に戻った。折れた跡は、今でも尊像

 に残っている。

●慶応元年(1865年)、水原在下金田村の関川市在門氏の母「貞信」は夫の死後、入舩地蔵尊の傍ら

 に住み、堂宇を改築し、無縁塚となっている二百坪の土地を手に入れ、新潟県令の許可を得て

 地蔵尊像を信仰仏とした入舩地蔵尊(寺院)の開基と為す。これが、今の入舩地蔵尊である。

○それ以来、諸国を往来する船は、入舩地蔵尊に安全を祈願し、新潟湊は常に300~400隻の和船が

 停泊し、その繁栄がうかがわれるところである。

 


 新潟の下町 古老百話 (昭和49年出版 : 著者 沢村洋)

   この地蔵尊は御丈二尺八寸の石像で、亨保三年  佐州羽黒山覚念の銘がある。

丹州の楠屋船が夷湊に停泊中、一人の老人が現れて「新潟へ渡海するのに便船がなく当惑しているので乗せてほしい」と言ったが、船中の者が断ったところ、いずくもなく立ち去って行った。

 いよいよ出帆して新潟へ近づいたが、なかなか進まなくなった。見ると艫に石地蔵が鎮座している。
 船員は、こいつとばかり海中へ投げたところ、不思議にも船は全く動かなくなった。地獄の天罰か仏法不知の輩への咎かと心配して海中から地蔵を拾い上げたところ、入り風が出て船は無事に湊へ入ることができた。
 船員は但馬屋へ投宿し、地蔵は源四郎小屋の傍らに安置した。
 天明元年から四年つづきの大飢饉があったので、網干屋が中心になって協議し、太郎助うらの藤藪へ移して一宇を建立した。これが、今の入船地蔵である。
 また、古老は言う。思案小路(東堀十二)に但馬屋酒屋(今代司)がある。

昔、佐渡通いをしていた時に、佐渡で一人のお小僧様が「新潟へ行きたい。」というので乗せて来たが、新潟へ着くと小僧さんの姿は見えない。座っていた所に地蔵様がおられた。上大川前通十一の隣りの苅部東平廻船問屋のばあさんが尼になっていたので、その尼さんに預けて地蔵尊を建てたと、同じような話をしている。
 明治十三年・十五年・三十一年の大火で境内の樹木は焼かれ、明治十七年に御堂を建てたが、三十一年に焼けたので三十五年に新築し、四十四年に改築したものである。
 境内には千体地蔵堂があり、丈七寸五分の金色地蔵が千四百七十体と十二支守り本尊八体(千手観音菩薩から阿弥陀如来まで)を安置している。
 こちらのお地蔵様は守り本尊なので、いろいろな方が子供の安全を祈ってお願いに来ます。
明治大正時代には、母親が幼児を連れて、身代りの土人形や下駄を上げて無事息災を祈ったものでしたが、今は人形も変わり母親が一人でお願いにやって来ます。

また、十四番町の娼婦がたくさんお参りに来たものでした。
 下町には地蔵様が多く、ここのほかに舟見地蔵・すけご地蔵・浮州の地蔵尊、その下にも地蔵尊があります。

 


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入船地蔵尊フォトギャラリー
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    【 宗祖】 円光,東漸,慧成,弘覚,慈教,

       明照,和順,法爾大師 『法然上人』

        千体仏を迎える入船地蔵尊

         (佐渡渡来より三百年)

             全国から寄進の千体地蔵 (円内)




◆お知らせ

   ●平成31年1月  入船地蔵尊ブログを開設

      ●平成30年10月 入船地蔵尊フォトギャラリーを開設 

    ●平成30年7月~ 新潟島妖怪巡りスタンプラリーの開催案内

       ●平成30年7月  新潟湊元 渡来三百年「入舩地蔵尊例大祭」を開催


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